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No.59
さとうくにのすけ。 3年前から天国に住む私の大好きな祖父です。 とても優しくおちゃめでユーモアのある爺ちゃん。 私の家は気仙沼の大島という離れ小島にあり十八鳴浜(くぐなりはま)という砂の上を歩くとキュッキュッと鳴る浜(観光地)に近い所にあります。祖父は漁師をしていました。いつもまだ夜が開けない前から海に出てお昼過ぎには上がってきて、自分の漁のものを肴に晩酌をするのが一番の楽しみと言っていました。そして夕方六時には寝てしまいます。だから、私の帰りが遅いと何日も会えない日があったりして。爺ちゃんの逸話は沢山あります。お昼過ぎに海から上がってくる帰り道に道端に咲いている山百合やまんさくや山吹、季節の色々な花をとってきては 道を歩いている観光客や知り合いの方に『爺ちゃんからだよ、どうぞっ!』って軽トラで配っていたり、観光客の方と仲良くなっては、家に連れてきて一緒に晩酌や夕飯をご馳走してたりしてて、身しらぬ人と一緒の夕飯は幾度となくありました。そしてその身知らぬ方から数日後にお礼の品(その土地の名産品)が届く事も幾度とありました。だから我が家は離れ小島にいながら各地方の栃 木や北海道や東京や長崎等、色々な名産品を頂く事が出来てました。でも、どなたから送って頂いたか一度しか会ってないのでほとんどわかりません。爺ちゃんは『あぁ〜あの女の人だね、とか今後は男の人かなぁ』とか交互に納得しながら有難く頂きます。だから我が家では送り主がわからない人からでも荷物を開けてしまうので、間違って隣の家の荷物が家に来ても開けてしまった事もあります。でも、隣の家も我が家がこういう家だと知っていたので攻める事もなく、お裾分けを頂いたりして。本当にまったりした暮らしでした。そして、爺ちゃんと一緒にご飯を食べている時は、私が席を離れて戻って来ると、私のご飯の上に甘エビの頭が刺さっていたり、お汁にサラダの具が入っていたり、おかずが減っていたり、そして何くわぬ顔しています。こういう爺ちゃんでした。とても穏和な楽しい家で私は育ちました。私の娘の『道』という名も爺ちゃんがつけました。まだまだある爺ちゃんの逸話。またいつか書こうと思います。 (^o^)/
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