No.365 懐かしの国道6号線紀行 |
昨年3月の東日本大震災の原発被害を機に「通行不能」となった国道6号線…
誰が想像しただろうか?
震災前は、ホームグランドのように通過していて、その地その地で色々な思い出があった。
宮城県を出発して、岩沼市で国道4号線から分岐する国道6号線は、宮城県内の亘理町、山元町を経て、いよいよ福島県へと入り、福島県に入ってからの初めての街が新地町で、海までの距離は、国道から直線距離で1キロあるかないか?だ!
その海沿いには、宮城県から延々と続く通称「浜街道」が走っており、道路沿いには、小さな漁港がたくさんあり、それにまつわる水産会社がひしめき合っていた…
その漁港、道路、水産会社の殆どは東日本大震災で被災して壊滅状態だ…
そして、2つ目の街が相馬市だ!
相馬市は仲間がたくさんおり、仕事でも遊びでもよく足を運び、お正月前には、たくさんの鮮魚をみやげにもらったのもしばしば。
新地、相馬あたりは国道を走るよりも浜街道を走って国定公園の「松川浦」を眺めながら走るのが大好きだった。
そして今現在は、平成の大合併で南相馬市に吸収された鹿島町に入る。
その地は、国道沿いに「ラーメンとんた」があり、「ニューとんた」になって味が落ちる前は、ちょくちょく立ち寄り、ラーメンを啜ったもんだ! 荷物も今くらいの時期には、梨がかなりの出荷量があり、夕方に積み上がって、大混雑の新宿の市場まで、よく運んだものだ。
そして次に足を踏み入れるのは原町市で、大型トラックに乗りたての若い頃、日戸っちの御近所あたりの畑からトマトを満載に積み、その他のデルモンテ?の工場に運んだ記憶が甦る!(笑)
そして問題は、この先だ! この先は、原発被害により「通行止め」となっており、広野町まで通行不能だ!
本来、この先は小高町、浪江町、双葉町、大熊町、富岡町、楢葉町と国道の沿線上にたくさんの街並みがあるのに、今は入れない…
ホントに美味いラーメンショップがあった小高町
鮭の遡上が有名だった請戸川のある浪江町
運転手なりたての頃、ヒーターホースが破損し、道路沿いのパーキングで寒い夜を過ごした双葉町
石巻市場行きの梨をよく積みに行ったり、スーパープラントで買い物をした大熊町
追い越し禁止違反で捕まった富岡町、その他は、桜の名所で知られる「夜の森公園」がある。
仲間の実家のオヤジさんからたくさんのドジョウをもらった楢葉町…
そして、他にも数え切れない程の思い出が原発の避難区域には詰まっている。
そして、広野町から先は、以前通りに通過出来るらしいが、震災後は足を踏み入れていない…
今でも、寝る前など過去の国道6号沿線の思い出に浸りながら、しばしば床に着く。
幸いにも仲間達には直接的な被害は無かったが、やはり切ないよな…
添付した画像は、震災前に旅館の部屋から撮影した朝焼けの松川浦国定公園です。
12/10/28 21:29
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